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●バラの歴史とローズマニア  
 

バラの美女バラ色の人生、バラ色の夢、バラ色の日々、バラ色の… どんなものでも「バラ色の」という接頭語がつくと瞬時に希望の光りに包まれたような不思議なおまじないにかかった気がします。しかしこれは比喩ではありません。古来から人々はバラを生活にとりいれて本当にバラ色の人生を謳歌してきたのです。

古代ローマではバラがなくては夜も昼も明けませんでした。花の王冠を被ったローマ人は花びらをどっさり浮かべたバラ酒を飲みバラがお腹に詰められた白鳥のローストに舌鼓を打ち、デザートにまでバラを使いました。実際にローマ帝国に関する資料の中にバラのお菓子のレシピが記されています。

当時は、 食事の前にバラの香りがするお風呂に入り、バラの香油を体に塗って身だしなみを整えるのが習慣でした。誰もが利用できる香水風呂は市内に1000ヵ所以上も設けられていたということですから日本人にも負けないくらいのお風呂好きといえそうですね。そのように入念な準備を終えると、天井からバラの花びらの雨が降る、バラで埋め尽くされたサロンに出向くのです。

バラの饗宴は莫大な費用が嵩むにもかかわらずバラの美しさ、芳しさに魅了されたローズ・マニアにより当時は頻繁に行われていました。皇帝ネロもその1人です。バラの香りを立たせるため、孔雀の羽根にローズウォーターをふりかけて飛び回らせるという趣向が凝らされたこともありました。バラの祝宴の図には、この暴君がバラの首飾りと王冠をつけ、花びらを詰めた枕に寝ているところが描かれています。

クレオパトラもバラを愛したローズ・マニアでした。彼女ほど花のパワーを知りつくし、利用した美女はいないでしょう。お抱えの調香師もいたほど香りに精通 し、召使いに香油や膏薬を使ったマッサージをさせ、体の手入れをすると共に精神の安定をはかっていました。

シーザーやアントニウスをもてなした時にはバラの花びらを膝の高さまで敷き詰めたといいます。クレオパトラに一歩一歩近づくたび、甘いバラの香りが広間いっぱいにたちのぼり、正面 に相対した頃には、気分をすっかりリラックスさせる効果があるのを計算しての事でしょう。こんな歓迎をされてはどんな男性もひとたまりもありませんよね。

3世紀に治世したヘリオガバルス皇帝はバラ酒で満たされたお風呂に入りその中で泳ぎさえしました。

10世紀に入るとギリシャ文化を継承したイスラム圏でバラの栽培が盛んになります。そしてここである重要な発見がされました。それはペルシャの皇帝ディハングールとヌージハン妃の結婚式の日。手入れの行き届いた広大な庭園にはバラの花をいっぱいに湛えた川が縦横に流れていました。甘美な香りを放って二人を祝福するバラは太陽に熱せられるうちに、油分が分離し、それが泡となって水の上を漂いはじめたのです。天然の成分からなるこの泡の発見でバラの精油の抽出法が研究され、イランの有名な医学者アビセンナが蒸留法を確立しました。

その頃からペルシャは重要なバラの生産地で、ヨーロッパ、北アフリカ、アジアのほとんどの地域にローズウォーターを輸出していましたが、同時に蒸留法も伝えられ、しばらくしてフランスでも生産が始まりました。

中世になると、ローズウォーターやバラの花を使ったレシピが増え、リチャード2世の宮廷料理人は王を喜ばせるためにローズプディングを考え出しました。ローズソースの魚料理もこの頃にあみ出されたメニューです。シェークスピアも戯曲にバラのレシピを登場させています。

フランスのポンパドゥール夫人やマリー アントワネットもバラ好きで知られています。

いつの時代も世界中の人々を魅了し続けてきたバラ。
あなたはどんな言葉に、魔法のおまじない「バラ色の」をつけますか?


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